10年は、ひと昔
(掲載日:2015年04月13日)山田冨美雄
初代健康心理学科長、大学院研究科長
黎明期
2005年4月1日、健康心理学科は始動しました。教員の多くは人間環境学科と社会福祉学科を兼任する形でのスタートでした。学科長である私と、助手の野村先生とで事務処理もしていました。初年度入学者107名を、FA(ファカルティ・アドバイザー)別の基礎演習クラスに分け終わったのは入学式前夜だったと思います。
入学式はさすがに緊張しました。その後の学科別教員紹介ではじめて新入生と顔を会わせたのですが、よく覚えていません。不安でいっぱいの新入生を前に、私たち教員も実は相当緊張していたのです。学科長としての挨拶は、おそらく健康心理学とは何か、臨床心理学とどう違うかなど、新学科の売り文句を並べ立てたのだとおもいます。そして宿泊オリエンテーション、最初の授業「心理学概論」と「基礎演習」。月曜日の1時間目から始まるこれらの必修科目に、1期生たちはさぞや戸惑ったことでしょう。
基礎演習では、部屋が足りないというので、急遽教員の研究室を使うことになりました。豆からひく本物の珈琲や紅茶を飲みながら、ゼミ形式に親しんでもらいました。
心理学概論は、私・藤村・谷先生の3人オムニバス形式としました。まだ先輩学生がいない1期生たちへの対応は、それこそ手探りの連続でした。人間環境学科のゼミ生たちが先輩格となってくれたので助かりました。もちろん健康心理学科合同研究室に野村先生が朝から晩まで陣取ってくれたので、新入生にとってはとてもいい兄貴分に見えたことでしょう。
予算配分、毎月の学科会議、入試関連業務、それに大学院人間科学研究科の申請書類作りに開設準備もあり、2005年は相当なオーバーワーク。おまけに4月25日のJR尼崎踏切脱線事故に義姉が巻き込まれて私も遺族の一人となってしまいました。11月には親父が90歳で他界、12月には研究会主催と、ホームズのストレッサー得点は300点以上。おかげでヘルぺスが出ました。
発展期
オープンキャンパスに入試、高校周り、校長会周りなどもしつくして2006年を迎えるのですが、入学者は97名。定員を3名割ってしまいました。でも2期生を迎える準備は万端。2年次生も大学院1期生たちと先輩として大いに手伝ってくれ、学生指導も順調に進行しました。3期生4期生といずれも入学生数は113名と定員を超過。完成年度の2008年には在学生数が400人を超える大所帯となっていました。そして最初の卒業生の何名かは大学院に進学し、研究者として活発に学会発表などしてくれました。
この10年の間に、本学健康心理学科は社会への貢献にも力を注いできました。日本健康心理学会の研修会、日本心理学会PNEI研究会、同まばたき研究会、行動医学会総会、関西心理学会大会などを本学で開催しました。論文や著書、テレビ取材にも協力し出演もしました。大学学舎内全面禁煙化を実現し、禁煙サポートおよび禁煙キャンペーンをゼミ生や院生たちと継続してきました。こうした甲斐あって、世間的にも本学健康心理学科は何を学ぶところで、どんな研究をしているかが、ようやく理解されるようになってきたように感じています。
これから
大学は冬の時代を迎えます。受験生数が減少し、大学は生き残りをかけた持久戦の模様です。
卒業生が立派に専門を活かして生業を得、健康心理学を武器として医療業界や地域で活躍してくれることを期待していますが、心理の専門職が国家資格にならないと形が整いません。そこで、各界と手をつないで「公認心理師」という国家資格制度を作ろうと活動しています。
この文章を書いている時点では未だ国家資格法案は衆議院本会議に上梓されていません。しかし必ず国家資格化は成就できると信じています。本学科もこの流れに乗って欲しいものです。
本学科の卒業生諸君におかれては、認定健康心理士を維持しつつ、国民の健康増進の担い手として社会に貢献できることを誇りにおもっていただければとおもいます。そして国家資格制度が出来あがったら、ぜひ公認心理師に挑戦してほしいとおもいます。